1万2000坪の荒地を開拓して
 〜「ザ!鉄腕!DASH!!」の制作現場から伝えたいこと〜
 

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日本テレビ放送網株式会社 プロデューサー 今村 司

 日曜夜7時日本テレビ系列で放送している「ザ!鉄腕!DASH!!」という番組をご存知でしょうか。アイドルグループ“TOKIO”がいろいろな企画に身体を張ってチャレンジする番組です。僕はその番組をプロデュースして3年半になりますが、その中でも今、特に力を注いでいるのが「DASH村」という企画です。
 「地図に番組名を残したい」ということが企画の発端でしたが、物事を進めていくうちに様々な問題意識を持つようになりました。


便利は復讐する
 今は、ホントに便利な世の中です。ファーストフードやIT革命といったものがもてはやされ、人はそれを当たり前のごとく収得している。僕もそんな時代を当たり前のように、でもどこか首を傾げながら過ごしていた……ふと、あることに気付いたのは通勤中の電車の中でした。読書している人の姿が断然少ない。その代わり、うつむいてピコピコ携帯メールを打っている。しかも若い人だけではなく僕ぐらいのサラリーマンも。何だかゾッとしました。こんなふうにして、人間関係の稀薄化が進み、感性の鈍化が浸透していったら……勿論、不便なことより便利なことを選ぶでしょう。でも利便性を追求することって歯止めがきかないし限界もある。車社会が進めば大気が汚染され地球の温暖化みたいなこととかそれら全て限界を超えたら、きっと人間の手には追えない強大なものに復讐される気がします。
 “今の世の中って少しオカシくないか?”“ホントにそれでいいの?”
 そんな問い掛けを一人一人が出来れば、もっともっとステキな“今”になるような気がするんですよね。


「DASH村開拓記」
 20年以上もほっておかれた1万2000坪の荒地を舞台にした村づくりは苦労と発見の連続でした。人間の持つ力・知恵を信じ、大地に感謝し、そして時には自然に闘いを挑むこと。失敗を恐れず何んでもトライしてみること。それが村づくり、開拓の約束事でした。お腹が減るから野菜を作り、寒さを凌ぐために炭を作るという根源的な欲求に従って“生活”ということをもう一度見直してみたい。生活に従うと、まず農業や林業といった第一次産業に目が向かったのは必然でした。土地をお借りし、そこで暮らし、自然を相手にする以上、その土地・気候を熟知している人に協力してもらいたい……私たちの願いを地元の方たちは快く受け入れて下さいました。
村の風景  今や「DASH村」の顔として欠かせないのが、農業指導を受けている74歳の“三瓶明雄さん”。明雄さんは「DASH村」の一番近くに暮らす農民の方です。だから地域の土のこと、気候のことをすべて把握しています。それは去年の春、「DASH村」を遅霜が襲った晩のこと。すっかり眠りに落ちている「DASH村」に、明雄さんの怒号が響きました。
 「早く起きろ!村が死ぬぞ!」只ならぬ気配に私たちスタッフは習性でテレビカメラを持っていました。「何してんだ!霜がきた!火を焚け、カメラ回してる場合じゃないだろ!」
 普段の温厚さから想像もつかない鬼気迫る明雄さんに、私たちもカメラを捨て現場に走りました。そして一晩中火を焚き続けました。我々に仕事を忘れさせる迫力……村を村の作物を愛する明雄さんの気持ちが嬉しかった。
 毎年、初夏にやってくる日照りは村の作物の生長に大きな影響を与えます。3年目を迎えた「DASH村」は人も作物も増え、井戸を掘ろう!という気運が高まりました。しかし、何メートル掘っても水が出なかったら……私たちは井戸を掘る場所を決めかねていました。すると明雄さんは村にあるものを持って現れました。“合鴨の羽と木桶”。「まじないまじない」と言いつつ村のあちこちに合鴨の羽を刺し、そこへ桶をかぶせる明雄さん。
イラスト  その謎は翌日解明されました。桶を開けてみるとほとんどの羽は乾いている中で、数箇所だけしっとりと湿っている羽。明雄さんは断言しました。「ここを掘れば水は出る」私たちは驚きながらも掘り始め、そして奇跡の瞬間に遭遇しました。私たちには聞こえなかった地下の水の声を明雄さんは聞かせてくれたのです。生命の根源“水”と“火”。明雄さんはこの土地を50年以上も前に開墾して以来、ずっとこの2大テーマと闘ってきました。
 長年の経験と工夫から生まれた“知恵”。明雄さんからは天気の読み方から祭りの楽しみ方まで「生きること」をずっと教 えられてきました。“金光さん”からは「炭焼きの知恵」“孝子さん”からは漬物・味噌など「保存食の知恵」を。築250年の古民家を移築した“島崎棟梁”からは日本建築に見る「快適な暮らしへの知恵」を教えて頂きました。彼らすべてが“高齢者”と云われる方たちです。今の世の中ともすれば軽んじられる年代です。しかし、齢を重ねるということはそれだけで尊敬に値することではないでしょうか……。
 「知識」ばかりがもてはやされている現代で、先人たちの「知恵」を見つめ直す時なのではないでしょうか……。「DASH村」の村づくりをとおして「生きること」「暮らすこと」「自然との共存」「資源の節約」などを皆さんと共に考えていけたら……といつも思っています。

“僕”ってなんだろう
 僕は神奈川県三浦半島の先、半農半漁という地域で生まれ祖父母と一緒に暮らしていました。ウチは旅館をやっていて毎日、農家の方が野菜を届けに来てくれたり漁師さんがイキのいい魚を持って来てくれました。子供のころ、日焼けしたお百姓さんや漁師さんが物凄くカッコ良くて、ああいう逞しい男になりたいなぁって憧れを抱いていました。「DASH村」をつくる過程で大切にしている「第一次産業への敬意」「お年寄りへの尊敬」などは僕の原体験がベースになっているんだと思います。
 高収入・高学歴・高身長、いわゆる3Kと言われた時代がかつてありました。勉強して、いい大学入って、いい会社に就職して、トレンディードラマに出てくるような部屋で暮らす。それが「カッコイイ」と思っていた時代。そんな幻想はことごとく過ぎ去り、不景気だとか世界戦争、北朝鮮問題といった世界の現実を直視せざるをえない事態になっています。
 この世の中で、“自分とは?”“世界とは?”“仕事とは?”とそれぞれが自分に問い掛ける時間が増えていると僕は思います。
 「DASH村」のホームページには視聴者の皆さまからたくさんの声を頂きます。
 以前は単に“癒されます”といったお言葉が多かったのですが、最近では自らの家庭菜園・市民菜園の経験を生かしたアドバイスのメールが多いですね。ベランダや庭で草花を育てていたのでは飽き足らず、土地を購入し週末だけ作物づくりに精を出すサラリーマンの方も多いようです。太陽の光を仰ぎながら、土に触れ汗を流し、作物の生長を肌で感じ、眼で確信する……嬉しいですね。暗い世の中、「DASH村」づくりを見て、自分たちもやってみようって。そして、地に足をつけ生きてるんだ!って感じてもらえるのが。まさに“生”の原点に返るような感覚なのだろうと思います。
 “癒しブーム”は少し陰ってきましたが、原点を見つめなおす感覚こそが“癒し”であり、それが“実感”に変わっていけばいい。そして、そこに光を当ててもう一度考えてほしい。自分って何? 家族って何? 仕事って? だって、何かを引き換えに現代を手にしても、生きることっていうことや遙かなる未来は自分たちの手に掛かってたりするのだから……


「DASH村」…そして…
 今年1月、「DASH村」の町役場が失火で全焼しました。近隣の方たちの絶大なるご協力のもと住人も動物たちも皆無事でした。不幸は重なるもので、双子の子ヤギ“つばさ”が突然の病気で神に召されました。いろいろな事があります。母ヤギ“マサヨ”が“つばさ”の生まれ変わりだともいえる2匹の子ヤギを出産しました。予定日より早い出産でスタッフが眠っている間に起こった新しい生命の誕生でした。
子ヤギを出産 大きくなった子ヤギ
 そして、「DASH村」誕生と共に村に住民票を移し、住人となり村を見守り全てを受け止め、最も村を愛した男“清 準一郎”。彼なしでは今の村づくりはままならなかったと思います。彼はこれから、物書きになるという自分の夢を追い叶えるべく静かに村を去りました。「DASH村」はテレビのイベントではありません。そこには成功もあれば失敗もあり生もあれば死もあり、別れもあれば出会いもある。そういうこと一切合切背中合わせの“生活”なのです。
 僕には番組を作るうえであるこだわりがあります。
イラスト  「2つのEと1つのI」1つ目は“Entertainment”(楽しく)
 2つ目は“Emotional”(心に何らかの感情が湧くような)
 そして最後に“Intelligence”(なるほどなと思える)
 そんなことを心がけています。他の企画でも、「つれたか丸」では大海原で漁に出て地球の命を感じたり、「恐竜発掘」では大地の力や生命の営みを感じたり「ソーラーカーの旅」では太陽エネルギーの強大さを再認識したり。まだまだチャレンジしたいことはたくさんあって、テレビマンとして世の中に対する静なるアンチテーゼを唱えていけたらな、と。
 絶え間なくもの凄いスピードで流れていく時間の中で、私たちの前に人がいて、私たちの後にも人がいる。この地球で、そしてこの日本でしっかりと地に足をつけ大きく前を向いて歩いていく。人間の営みは脈々と流れていて、ずっと続いていくものですから……