

・大川について 大川は、北上山地南端に位置する室根山(岩手県室根村)を源流とする田茂木川、太田山(宮城県気仙沼市上廿一)から流れる二十一川、君ヶ鼻山(同市新月)からの八瀬川などの支流を有し、流域面積およそ百七十平方キロメ−トル、本川の長さ二十六キロメ−トル、宮城県第二の二級河川である。
大川流域の往時の豊かさについては唐桑町在住の畠山重篤氏の著書『森は海の恋人』に詳しく紹介されているので興味のある方は是非そちらを読んで頂きたいが、私なりの大川の思い出、大川と私との関わりをなどを述べて見たい。
私は、今から36年前(1997年3月)、小学1年生の時にに大川中流の現在の家に引っ越して来た。息子たちに話してもなかなか信じて貰えないのだが、当時の大川は魚や虫そして子供や大人がいっぱいのとても豊かな川だった。
自宅前から約500m下流に農業用水を取水するための通称「ザワザワ」と呼ばれた堰堤があり、夏休みになるとそこで泳いだのだが、コンクリ−トの構造物の川底に手をつくと指の間から鮎やオイカワなどの川魚が我先にとすり抜けて行くのが感じられた。
筆者の自宅付近の今昔を記録した写真を紹介する。
| 最近ではどこの学校でも川での事故を恐れて(事故が起きた時の指導責任を問われることを恐れて?)児童・生徒が川で遊ぶ事を禁止しているが、私が小学生の頃(昭和36年から42年)は右の写真の様に子供が川で遊ぶのは当たり前の光景でした。 当時の大川には砂利を採取した穴(通称タコツボ)が所々にあり、結構危険でしたが、そんな情報も日々川で遊ぶ内に体で体得したものです。 | |
| 昭和37、8年頃の夏休みのひとこま。通称ザワザワと呼ばれた堰堤の上で遊ぶ筆者と兄弟。 当時のザワザワの上流部(筆者の自宅前)は深みになっていて、小学生にはちょっと恐いところだった。昭和40年頃には地元高校の水泳部員が練習中に溺死している。 |
子供の頃の筆者(左端)と姉、弟 |
| 平成元年6月3日カヌ−がほぼ完成したので会社の同僚、友人等を招待して進水式を開催した。 最初はおっかなびっくりの状態だったが、乗っているうちに思いの他、安定性があるのが解って、参加した皆さんに交代で乗船してもらった。水に浮かんだカヌ−は水面に木目が映えて仲々美しいものだった。 |
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| 平成元年6月3日、進水式の日。自宅前の川で友人父子を乗せて。 | |
| 平成元年8月5日自宅前から河口へ向けて漕ぎ出す筆者。 写真の左下隅に野菜作りに励む筆者の実父が写っている。 |
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| 平成2年4月1日、自作カヤックで河口方向に向かう筆者。 |
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| 平成9年4月20日撮影。以前は河口から筆者自宅の前までは2ヶ所の堰堤があり、それぞれを上のザワザワ、下のザワザワと呼んでいた。 昭和54年に大川が氾濫して流域に大きな被害をもたらしたこと(筆者自宅も床上浸水した)、及び宅地かが進んで農業用水としての真水の必要性が薄れたことなどの理由から二つの堰堤は撤去された。 以来大川は筆者の自宅付近までが汽水域(海水と真水が混じり合う区域)となり、この季節になると満潮に乗ってシロウオがやってくるようになった。 |
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| 平成9年4月20日、自作カヤックでこの年初漕ぎの際、下流川より旧国道45号線の本町橋を撮影。 | |
| 平成9年4月20日、自作カヤックの上から五分咲きの桜並木を眺める。 | |
| 同上、下流側から。 |